嘘、とは何だろう?




 嘘、と一言に言うが、実は相当に幅の広い言葉であることを、皆さんは意識してるだろうか。
 突然何を言い出すのかと言う意見もあるかも知れないが、毎度のことなので却下。

 と言うわけで、「嘘」のお話。
 皆さん「嘘」というと何処かネガティブなイメージを持っていると思うが、実際「嘘」という言葉がどのような意味を持っているか、正確に把握している人はいないと思う。
 広辞苑には、こうある。


【うそ】
1)真実ではないこと。また、そのことば。いつわり。
2)正しくないこと。
3)適当でないこと。


 良く言う「嘘をつく」という言葉は、主に1の意味で使われている。
 実際にはやってないのに、やったと言う。実際には見たこともないのに、見たと言う。実際には食べたこともないのに、その味について意見を言う・・・まぁ、およそ数限りない嘘が存在すると思う。
 上に挙げた例は、そのどれもが「実際には行われていない体験」をあたかも「実体験」であるかのように偽るもので、嘘をついた人間が「実際には行っていない」という点で「嘘」である。
 つまり、「僕(私)は〜をやったよ」は、真実ではない。
 ところが、一つややこしい事が起こる。
 もし仮に、「嘘」として言った内容に真実が含まれてしまった場合だ。

 日本語の諺として「嘘から出た誠」というものがあるが、これは正に、一つの言葉の中に「嘘」と「真実」が混在してしまっている様を指す。
 例えば上の例を一つ取り上げよう。
 実際にはキリンを見たことのない人(Aとする)が、キリンについて語ったとしよう。もちろん、聞いている相手(Bとする)もキリンの事は知らないと言う前提にする。
 ここで、Aが「キリンを見たよ。首が凄く長くて、斑点模様があるんだ」という。Bはキリンのことを知らないから「へー、そうなんだ」という。そこでAとBが実際にキリンを見に行き、キリンという生物が確かにそのような生物である場合、「嘘から出た誠」が成り立つ。
 つまり、「Aが言葉を発した時点では実際はキリンを見ていない」と言う嘘と、「Aの言葉の特徴は、実際の事項と当てはまる」という真実。
 これは、実際にある「動かざる事柄」があって、それにたまたま嘘が符合したと言うパターン。「事柄」が先で「嘘」が後になるので、「後出しの嘘」とでも名前を付けよう。

 これと対比して、「先出しの嘘」もある。
 多分「嘘から出た誠」の本義はこちらかも知れないのだが、例えばAが「BとCが結婚するらしいよ」という、実際には本人達から聞いたこともない事柄(つまり嘘)を吹聴した後、実際にBとCが結婚してしまった場合がこれに当たる。「嘘」が先で「事柄」が後になってから付いてくるパターンだ。

 さて、ここで一旦冒頭に戻るが、嘘の定義は幅広い。
 何せ、真実でない事柄は全て「嘘」になりうるからだ。
 こうなると、実際「嘘」というのは日常生活で様々に発生する物で、例えばうろ覚えの物事はそのほとんど全てが嘘になる。
 それは、故意についた嘘ではないのだが、定義上真実(この場合は「実際の物事」程度の意味とする)から少しでも逸れれば「嘘」とならざるを得ない。
 上で述べた「嘘から出た誠」があったとしても、故意・故意ならずを問わず、その言葉を発した(あるいはその行動を起こした)瞬間は100%「嘘」であり、また先にも述べたとおり「嘘から出た誠≒嘘+真実」であるので、そこから「嘘」は消えない。
 嘘は、未来永劫(少なくとも嘘を残した人間が死ぬまで)残るのだ。

 しかしこれでは日常生活は嘘だらけと言うことになり、少々窮屈なので、これ以降は「故意に付いた嘘」のみを取り上げて「嘘」と言うことにする。

 では、人間は何故嘘を付くのだろう?
 これには様々な原因が考えられる。
 列挙してみよう。


1)相手(特定個人・団体)を騙すため
 1−1:相手を騙すことで快感(精神的満足)を得る
 1−2:相手を騙すことで金銭(物理的満足)を得る
 1−3:相手を騙すことで精神的有利な立場を得る
  1−3a;相手より有利であると見せかける(積極的立場)
  1−3b;自己の欠点から目を逸らさせる(消極的立場)
  1−3c;相手の立場を貶める(相対的有利)
 1−4:相手を騙すことで相手又は第三者の欠点から目を逸らさせる(擁護的立場、3に類似)

2)不特定多数(無差別な集団・社会全体・世界)を騙すため
 2−1:世間的注目を集める(精神的満足)
 2−2:詐欺行為(物理的満足)
 2−3:示威行為
 2−4:隠蔽行為
 2−5:擁護行為
 2−6:政治的駆け引き(2−2〜2−5の総合、3に類似)

3)建前としての嘘


 だいたいこんな所だろうか。
 1と2は対象を騙すことに重心を置いており、それによって様々な物を得ようとする行為である。
 3は少々違って、いわゆる「本音と建て前」の意味での嘘、つまり相互交流を円滑に進めるための潤滑剤としての嘘である。
 どちらも嘘には変わりないが、今回は3の類の嘘は取り上げない。

 それでは、相手を騙すことを主眼に置いた「嘘」は、どういった具合に付くのだろうか?
 何を隠そう、俺も良く嘘を付く。
 良く、と言っても頻度的にそんなにあるわけではないのだが、さらっともっともらしいことを言って、後で「いや、嘘だけども」とばらす程度の嘘は、相手の反応が面白いと予想できたときにやる(1−1)
 また、ネット上では論戦の時に相手より有利であることを印象づける情報操作的な嘘はやることがある(1−3a,b)。相手を貶める嘘というのは第三者がそこにいないとまず成立しないので、使うことがない。
 ただ、実際に相手を目の前にして論戦時に嘘を付くことは滅多にない。
 というのは、その場で出た嘘ほど怖い物はないと言うことを知っているからだ。

 嘘、というのは上に列挙したように、うまくつけば自分に有利に働く。
 だからこそ、皆何処かで嘘を付くのだ。
 勿論、好きこのんで嘘を付く奴は少数派だろうが(相手を笑わせたり楽しませるための嘘、と言う点でなら得意な奴は多いかもしれないが)、どうしてもと言うとき、起死回生のチャンスと言うとき、人は咄嗟に嘘を付いてしまう事がある。
 だが、嘘は勿論メリットだけがあるわけではない。
 それ相応の、いや時にはそれを遙かに凌駕するデメリットを孕んでいる。
 それは一言で言えば「信用」に結びつく。

 嘘を付く、と言うことは、「その人は本当のことを言わない、信用できない」という事を暗示する。
 更に言えば、一度の嘘の破壊力というのは、これまで培ってきた信頼を根底から覆す程大きい事もある。
 ちょっと旬を過ぎた「高層建築物」で言えば、嘘は手抜き工事のような物で、それが分かればその建物には誰も寄りつかないのである。

 しかしその嘘が、完璧なまでに計算され尽くされた物であるならどうだろう?
 その嘘を一つ付くために壮大なバックグラウンドを用意し、完璧なその後の道筋をシミュレートし、自分自身すら騙し通せるほどの嘘を付いたとしたら?
 そしてあまつさえ、その嘘が「嘘から出た誠」にまで昇華されるとしたら・・・。

 例えは悪いが、アメリカという国はそれを地で行っているのではないかと思うことがたまにある。「イラクに大量破壊兵器が」という嘘(ある程度根拠に基づいた予想だったのだろうが)をアメリカ国民全体につき、更に自分自身もそれに対して行動するという姿勢は、これに似ている気がしないでもない。

 話が逸れたが、そのような「完璧な嘘」(嘘に完璧も何もあった物ではないが)とでも言うべきものが合ったとしたら、それは果たして「嘘」と言ってしまって良いのだろうか。
 最初の方で、「嘘から出た誠≒嘘+真実」と書いたが、「嘘から出た誠=嘘+真実」とは言っていない。これは何故かというと、「嘘=嘘」では決してないからなのだ。
 混乱しそうだが、ここまで俺は「嘘」を「主観」と「客観」ごちゃ混ぜにして捉え、書いてきた。当然、嘘を付くからには自分と相手の二者が最低限必要なわけで、主客を取り混ぜて考えるのは当然のことだ。
 だが、ここで「主観の嘘」と「客観の嘘」を分けて考えると、「完璧な嘘」という物がどういう物か、非常にすっきりする。

 つまり、「主観では嘘」であっても「客観では嘘と分からない」のが「完璧な嘘」だ。

 何を当たり前のことを、と感じるだろうが、その当たり前のことを「出来る」と思える人はほとんどいないはずだ。
 客観では嘘と分からない、と言うのが、言葉で言うよりも何百倍も難しい事を、大概の人は体験的に知っているだろう。
 具体的に言えば、客観では嘘と分からない嘘のための条件として以下のような物がある。


1)その事柄自体を(嘘を付いた本人も含めて)誰も証明できない(存在の完全欠如)
2)その事柄に含む矛盾を誰も証明できない
 2−1:完全に証明不可能である
 2−2:証明可能だが、誰もやらない(証明の放棄)
3)その事柄が後に真実になってしまった(嘘から出た誠)


 3は主客を分ければ「嘘から出た誠=(主観での)嘘+(客観での)真実」と言うことになり、客体は嘘と分からないどころか、真実の姿しか見ていないので、主体が「あの時言ったのは実は嘘だったんだ」とばらさない限りは「完璧な嘘」だ。
 「嘘=嘘」ではないと言ったのはこのためで、「主観的な嘘≠客観的な嘘」のことがある事の典型例が3だろう。
 ただし、こんな事が起こることは滅多にない。
 それこそ奇跡でも起こらない限りは。
 1はいわば幻覚みたいなもので、嘘を付いた主体自身も恐らく何でそんな嘘を付いたのか分からないものだろう。恐らく誰もが嘘だと思うが、それが嘘だと完全に言い切ることが出来ずに何とも気持ち悪い事になる。こんな嘘を付く人は、一度病院で診てもらった方が良いかも知れない。

 そして、本命の2。
 これは2−1と2−2でやり方が大きく違ってくる。
 2−2に関しては九龍の記事「嘘の使用条件」三部作に詳しい(リンク先「魔城九龍」を直接参照して欲しい)。
 簡潔に述べれば、普段から嘘を上手くコントロールできれば、そのうち相手から「嘘の矛盾を暴く」行為を諦めさせ、なおかつこちらに信頼を置かせることが出来る、と言う物。
 これを行うためには常日頃から嘘をつき、更にそれを巧みにコントロール(丁度良いタイミングで嘘だとばらす、又は真面目に嘘を付く等)していかなければならない。
 はっきり言って、普通に対人関係の信頼を築き上げるのと同じくらい手間がかかる。
 誤解を恐れずに言えば、信頼関係の築き方の一つの手段として「本音と建て前」くらい体系化されているかも知れない。
 では2−1の方はと言うと、こちらに至っては自分すら騙し通さねばならなくなってくる。
 つまり、相手が矛盾を証明できない状態を作るのだから、嘘を付く自分自身が矛盾した行動を取っていたり、矛盾した言葉を発したりしたらその時点で終わってしまうのである。
 嘘の上塗り、と言う言葉が出来るくらい、この「完璧な嘘」を目指したがための基本的失敗は良く目にする。相手が矛盾を指摘する度にその上から嘘を塗り重ね、結局は寄り悪い方向へと転化していく。これは「その場しのぎ」で嘘を付いた人がほぼ全例経験するであろう泥沼で、先程の「高層建築物」の例ではないが、そもそもが急作りの土台で信頼を築き上げられるはずがないのだ。
 そうなると、この嘘を完璧にするためには事前にバックグラウンドとなる更なる嘘を用意し、組み上げておかねばならない事になる。その土台は汎用性があり、後で咄嗟に出た嘘に対しても柔軟に対処できるような物が良い。その為には、やはり日頃からその嘘を自分の中で組み上げ続ける必要があり、なおかつ自分すらも時には騙さなければならない。
 ここまでして付く嘘が、果たしてどれ程のメリットになり得るのか?

 騙し通せる嘘というのは、極めて少ない。
 そして、仮に騙し仰せたとしても、「主観の嘘」は上で述べたとおり、生涯を通して決して消えないのである。
 その場で完璧にしのいだはずでも、後になってその「主観の嘘」がぽろりとこぼれ落ちれば、「客観の真実」はあっさりと壊れてしまうかも知れない。
 そこまでのリスクを考えたとして、それでもあなたは「嘘」をつきますか?



 嘘も方便。
 だけども、その嘘は知らずのうちに「妄弁」になってはいまいか?
 嘘を付く方、くれぐれも「今後に」お気をつけを。

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